「不倫の子」になることで感じた、意外な安心感とは?【東大卒、汚部屋育ちの体験談】
この漫画は、自分と同じように汚部屋育ちである東大卒の著者が、自身のルーツとなる存在である異父兄弟が「不倫の子」であることを知り、どのような思いを抱いたのかを描いています。共感できる点が多く、絵と文章の組み合わせで伝えられているのが素晴らしいです。
コミックエッセイ『なんで私が不倫の子 汚部屋の理由と東大の意味』(竹書房)では、両親との関係や汚部屋と化した実家で暮らした日々を綴っています。
ハミ山さんの母は、ハミ山さんが「自慢の娘」であることを強いる一方で、激しい叱責や折檻で支配しようとしたといいます。
優しい父は一緒には暮らしておらず、困っているハミ山さんの様子を見て見ぬふりをするところがありました。そんないびつな家族関係の根底には、両親が夫婦ではなく不倫関係だったことが大きく関係していたのです。
本記事では、第1話を紹介。母娘の関係や、両親に対して感じていた違和感について、ハミ山さんに聞きました。
※本記事は全2回のうちの1本目です
◆自分が“不倫の子”だと知ったときのこと
――ご自身が両親の「不倫」の末に生まれた子供だったことを知ったときはどう感じたのでしょうか。
ハミ山クリニカさん(以下、ハミ山):自分が不倫の子であることに対して絶望感というよりは、原因不明の体調不良にやっと病名が付いたような安心感がありました。
それまで、家庭の中にヒントが転がっていたのに現実を見ないようにしていたところがあったんです。受け入れがたい気持ちも多少はあったのですが、確定した事実は変えられないし、むしろ「だからうちはこうだったのか」と納得する気持ちの方が大きかったです。
――ハミ山さんが家庭の中で違和感を持っていたのはどんなことだったのでしょうか。
ハミ山:父が普段から家にいなかったし、父と母の苗字が違っていました。でも幼い頃は他の家庭を知らないし、両親にどういうことなのか確認することを避けていたところもありました。聞くと事実が確定してしまうので、触れないようにしていたのかもしれません。
なんだか矛盾しますが、知りたい気持ちと知りたくない気持ち、どちらもあったような気がします。
小学生の頃は両親の仲が良好で、父は毎日のように家にいました。ただ、父には別の家庭があり、うちは日常を過ごす家族ではないからか、家にいるときはゴスペルを流しながら紅茶を淹れたり、父が豪華な料理を作ってくれたりと特別な過ごし方をしていた気がします。
お出かけも美術館や、公園で一眼レフで写真を撮ったりお寿司屋さんに行ったり、やたらと優雅な感じでした。本当に毎日一緒に生活をしていたら、そんな綺麗な過ごし方ばかりできないはずですよね。
◆20年間、二重生活を送っていた父
――ハミ山さんにとって、お父さんはどんな人だったのでしょうか。
ハミ山:休日にだけ現れて、いいものを食べさせてくれたり、おもちゃを買ってくれたり優しくしてくれる親戚のおじさんみたいな感じでした。
優しくて博学な憧れの父でしたが、実は短気でイライラしやすいところもありました。でも都合のいいときにしか家に来ないので、ずっと好きでいられたのだと思います。
父の死後に異母兄弟の兄から話を聞くと、父は全然おしゃれではなかったし、バラエティ番組を見てガハハと笑ったり、歌謡曲を聞いたり、休みの日には運動靴で裏山を散歩するのが趣味の普通のおじさんだったらしいです。
私の家にいるときは“ちょっとかっこいい俺”を演出していたんだなと思いました。20年近く2つの家族を使い分けていた父でしたが、晩年は病気になって体調面でも金銭面でも余裕が無くなって、いろいろなことが崩れてしまったのだと思います。
◆幼い頃は“憧れの存在”だった母
――お母さんはどんな方でしたか?
ハミ山:幼い頃は、綺麗で優しくて憧れの母でした。PTA活動を頑張ったり、他のお母さん達との付き合いもこなしていました。父と籍を入れていないことは、周りの人は誰も知らなかったと思います。
ただ、小学生くらいの頃から私に対して気に入らないことがあると外でも構わず怒鳴ったり、力いっぱいつねったりすることがありました。
私自身が母親になった今は「母も大変だったんだな」と思います。父は、母が子育てでつらい思いをしているときは家にいなかったので、すべての問題を自分で解決しなければならなかった。母は自身の母親と仲が良くなかったので誰にも相談できず、追い詰められていったのかもしれません。
――お母さんの暴力や暴言に対して憎しみの気持ちはありましたか?
ハミ山:小学生の頃はありましたが、怒りや憎しみを持ち続けるにはエネルギーが必要なんです。中学生くらいには母との毎日に疲れて日々を送るのに精一杯になってしまって、そんな気力はなくなってしまいました。
◆母の異常な行動を医師が注意したことも
――お母さんのハミ山さんへの暴言や折檻について、周りの人が注意してくれたことはありましたか?
ハミ山:小学生のときにかかりつけの眼科の先生が母に対して強い口調で注意してくれたことがありました。検査中、私に対する医師の質問なのに母が全部答えてしまったり、私を叱ったりする様子を見て常軌を逸していると感じたんだと思います。
あと、中学生の私が摂食障害や全身の痛みで食べられなくなって生理が止まって婦人科に行ったとき、お医者さんが「お母さんの関わり方もあると思います」と言って私と母の両方が心療内科にかかることを勧めてくれました。
でも、どちらの場合も母が怒ってその病院に行くのをやめてしまったので、第三者の介入は難しかったと思います。
――どうやって摂食障害を乗り越えたのでしょうか。
ハミ山:摂食障害になったきっかけが中学時代の対人トラブルだったのですが、大学生になって中高生の頃より広い人付き合いができるようになって、自然に治っていきました。ただ、その後もぶり返すことがあるので、食の問題にはずっと悩まされています。
<ハミ山クリニカ 取材・文/都田ミツコ>
【都田ミツコ】ライター、編集者。1982年生まれ。編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。主に子育て、教育、女性のキャリア、などをテーマに企業や専門家、著名人インタビューを行う。「日経xwoman」「女子SPA!」「東洋経済オンライン」などで執筆。
(出典 news.nicovideo.jp)
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